1985 甲子園 春 11

2016 All Rights Reserved. 2019年甲子園・春の選抜注目選手 【2019年選抜甲子園】春のセンバツ高校野球大会出場校・注目選手を一挙に紹介!甲子園をさらに楽しむために。 2019年3月12日 Mr-Koshien face我們了解您不想看到廣告的心情⋯ 若您願意支持巴哈姆特永續經營,請將 gamer.com.tw 加入廣告阻擋工具的白名單中,謝謝 !【教學】, 《春 & 夏推理事件簿》動畫新視覺圖公開 主題曲將由 fhána 及 ChouCho 演唱. 野球(高校野球・プロ野球)やサッカー、アメフト・NFL、バスケ・NBAを深堀り!スポーツ全般について情報発信!, 春のセンバツ・夏の選手権大会の出場校や結果、主な注目選手などについてみていきましょう。, 近大付は東海大甲府に延長13回のすえサヨナラ勝ちし、初出場の新田高校は北陽戦の17回裏、池田幸徳選手がのちに近鉄入りする北陽の寺前正雄投手からサヨナラアーチで決着。, 新田高校は2回戦でもサヨナラ3ランホームランを放っており、ミラクル新田として旋風を起こした。, 近大付と新田の決勝は、後藤章浩が先制ソロホームラン、投げても2失点完投と投打で活躍。大会を通じて、のちに西武入りする犬伏稔昌選手が4番に座る打線は力強いものだった。, また、沖縄県代表の沖縄水産が県勢初の決勝戦に進出。打線が活発で、犠打も含めて堅実な試合運びを行ってきたが、決勝の天理戦では強打が不発。, 天理高校は、決勝を含めて2完封の南竜次・谷口功一の二枚看板・ツインタワーが奮投した。, 前年春に甲子園準優勝した宮田投手擁する上宮高校と、中村紀洋選手のいる公立の渋谷高校との戦い。, -歴代の甲子園大会 翌年(1947年)にはスタンドの一部とグラウンドの接収が解除されたため、春と夏の中等学校野球、プロ野球が再開され、甲子園ボウルも始められた。なお球場全ての接収解除は1954年まで待たなければならなかった。ホームランを増やすため、プロ野球再開のシーズン途中にラッキーゾーンが日本で初めて設けられた(当初はプロ使用時のみ)。周りの施設の土地は住宅などに転用されたため、阪神電鉄関連のレジャー施設はプール(現在はテニスコートとクラブハウスになっている)と場所を移した遊園地(甲子園阪神パーク)のみに縮小された。, 1948年にはプロ野球においてフランチャイズ制が暫定導入され、大阪タイガースが甲子園球場を専用球場とし、自前の大規模球場を持たない南海ホークスとともに主催試合のほとんどを甲子園球場で行うようになった。南海電鉄は中百舌鳥球場を所有していたが、中百舌鳥の立地条件が悪いため、戦後からこの年までは公式戦を当球場及び阪急西宮球場で開催していた。ただし南海ホークスの使用は暫定的なもので、1950年から名目上のフランチャイズであった大阪市内に新設された大阪スタヂアムに移転した。, 1950年のセ・パ2リーグ制になってからは阪急西宮球場が阪急ブレーブスの本拠地となったため、パ・リーグの試合は専ら西宮球場で行われ、当球場は阪神タイガースを中心にセ・リーグの公式戦のみが行われる状態が続いた(逆に当球場が高校野球などで使用できない時でも、タイガースが西宮球場で公式戦を行うことは1990年までなかった)。2リーグ分裂後に当球場で行われたパ・リーグの主催試合は、2011年の東北楽天ゴールデンイーグルス対オリックス・バファローズ戦が初である(詳細は後述)。, その後はナイター施設の新設や座席、スコアボードの改修がなされていった。特に1976年からは数年かけて座席の更新が行われている。またグラウンドの大きさの見直しもあり、1991年にはラッキーゾーンを撤去した。このように当時の基準に合わせる改良が幾度も行われたが、最新の球場に比べて施設の老朽化や陳腐化は避けられず、また建物の耐用年数を考慮すると、いつかは建て替え、もしくは全面的な改修をしなければならないことは明白だった。そのため1990年代初頭には阪神電鉄首脳がドーム球場化を念頭において、アメリカの主要ドーム球場を視察して回った。当初は赤字だった阪神パークを閉鎖して、その跡地と周辺地を加えた用地(阪神パークの用地だけでは不足で、周りの用地買収が必要だったため)にドーム球場を建設する計画で進められていったようであり、実際に1993年には「(同年秋に開始する)西梅田再開発事業が終了する10年後を目処にドーム球場の建設を始めることを検討している」という報道がされている[11]。, 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の際、スタンドの一部に亀裂や崩落が発生。基礎部分の検査が行われたが問題なく、この年の選抜大会を前に亀裂や崩落箇所のみの補修が行なわれた。住民感情に配慮して第67回選抜高等学校野球大会の中止も検討されたが、予定通り開催された。, この地震の被害やバブル崩壊により、阪神電鉄は事業計画を見直すこととなり、阪神パークのある場所(2004年にららぽーとを誘致)でのドーム建設計画は正式発表されることなく白紙撤回された。その後改めて球場本体の構造強度の検査結果を踏まえ、工期はシーズンオフ3期に分割し、基礎部分を残して大規模改修をすることとなった。2004年7月には「西大阪線延伸事業が一段落する2008年のシーズンオフを目途に着工し、2010年以降の完成を目指す」という構想の概要が報道されたが、正式発表は2005年11月となり、着工は2007年秋からとなった。2010年春には全体の工事が完了した(詳細は次項を参照)。, 2005年11月7日に基本構想として正式発表された。改修に関する主な構想は下記の通り(詳細は外部リンクを参照)。, ドーム化見送りに関しては高校野球界から「青空の下でプレーできなくなり、高校野球に相応しくない」との反対論が続出していた。また収容人数を減らすことにより今以上に阪神戦のチケットの競争率が高くなり、球場へ見に行けなくなるファンが今よりも増えてしまう可能性があるため、改修するのなら増席をするべきだという意見もあった。, なお、この改修により2007年 - 2009年のシーズンは阪神がホームとなるポストシーズン(クライマックスシリーズと日本シリーズ)のゲームを甲子園球場で行わないことが2005年11月の実行委員会で了承された。なお2008年まで阪神の監督を務めた岡田彰布はこの球団の対応に対し苦言を呈している。実際の代替開催先は以下の通り。, 2006年7月に上記基本構想の工期を短縮することが発表された。変更後の工事予定は以下の通り。, これにより、2008年シーズンも旧銀傘が維持され、球場本体は2009年3月までに完成することになった。, また改修に先立つ形で、2007年2月に球場西隣のテニスコート(旧甲子園水上競技場跡)があった場所にクラブハウスを建築し、球場内にあったロッカーやトレーニングルームなどの選手関連施設や球団事務所を移している。また外壁の工事はシーズン中も行われた。, 2007年オフから予定通り工事を開始し、2008年3月11日に大林組より引渡しを受け工事完了となった。内野スタンド部の構造は改修前とは大幅に変わり(外見上は)新築同様となった。工事以前の構造を確認できるのは主だった柱ぐらいである。これまで観客用の回廊だった1階が関係者専用エリアとされ、2階の回廊と3階の回廊が観客エリアとなった。また分煙化も図られ、喫煙室も新設された。, 後に無観客で行われた練習試合において、グラウンドとダグアウトとの段差が90cmもあることや、後列のベンチに座ると天井が低すぎるなどの危険性を選手側から指摘されたため、ベンチを前にずらすなど手直しを行った。これ以外では特に問題はなく、3月22日に第80回選抜高等学校野球大会で内野エリアのリニューアルオープンを迎えた。, 2008年5月には第2期改修の変更概要が発表され、同年10月より工事が開始、翌年3月12日に大林組より引渡し完了。アルプススタンドには2階回廊、外野スタンドには1階回廊が追加され、観客用施設面積が増やされたほか、銀傘とサブスコアボード、照明が替えられた。また外野の観客動線の変更により、スコアボード下にあった外野中央門が廃止された。銀傘の下には法人会員制の「ロイヤルスイート」と、リボン状LEDボード「甲子園ライナービジョン」が設置された。この改修で野球開催に関する球場本体の改修は全て終了した。また乳幼児を伴う観客への利便性向上のため、託児所(有料)、授乳室が新設された。, 2009年10月から翌年3月まで行われた第3期の改修では、銀傘上部の太陽電池パネルの設置、グッズや軽食を販売する売店基地棟の設置、広場など各種イベント開催スペースの拡充、球場外野の外周道路の床面に煉瓦ブロックの敷設など、試合開催には支障をきたさない工事が行われた。, この工事に付随し「甲子園歴史館」が外野席下にオープン。また、外周道路の煉瓦ブロックは「KOSHIEN NAMING BRICK MEMBERS」としてファンなどから購入者を募り、ブロック1個ごとに購入者の名前や短文を刻印して敷設された。, バックネット裏を覆う「銀傘(ぎんさん)」と呼ばれる大屋根、時計台型のスコアボードが特徴。かつては球場外周の外壁が蔦(つた)に覆われていたが、リニューアル工事に伴って一旦取り払われてから再植栽されている(後述)。, 一層式にもかかわらず収容人員47,000人以上と、非常にスケールが大きい。内野席側の規模はそれほどではないが、外野席は他球場の倍程度の規模で全収容人員の4割程度を占めている(一般的なプロ野球球団の本拠地は2 - 3割の球場が多い)。時に阪神タイガースの新外国人選手が開幕前に球場フィールドに足を踏み入れて「非常に大きな球場だ」と驚く様子が関西のスポーツ新聞で報じられることがある[注 8]。座席は緑色系統で統一されている。, 開場したころはグラウンドの内野に面した部分のみが鉄筋コンクリート製(50段、高さ14.3m)であり、現在のアルプススタンド・外野スタンドの位置には土盛りの上に20段の木造スタンドがあった。その後1929年にアルプススタンドが、1936年に外野スタンドが内野スタンド並みに改築されている。またファウルグラウンドの規則改正のため当初の設計より内野スタンドとアルプススタンドは全体的にグラウンド側に増築されている。そのため内野スタンドとアルプススタンドは最前列がグラウンドレベルになっており、戦前にはすでに現在のフィールドシートのような座席となっていた。通常グラウンドレベルにある本塁後方のアナウンス室などは半地下となっている[注 9]。, 三宅秀史によると、三宅が阪神タイガースに入団した頃(1950年代)は一塁側内野スタンドの下に二軍選手の合宿所があった[13]。佐々木信也も自身が湘南高校時代に出場した第31回全国高等学校野球選手権大会で、当初の宿舎があまりに酷かったため途中から球場スタンド下の二軍選手用合宿所に宿舎を変更してもらったと語っている[14]。なお、選手の宿泊施設は後に専用の合宿所『虎風荘』が球場向かいの甲子園七番町に建てられ永らく使用された後、阪神鳴尾浜球場完成とともに同敷地内に移転している。, 内野スタンド、アルプススタンド、外野スタンドはそれぞれ分かれた構造となっており、リニューアル後もその構造を引き継いでいる。このうち内野スタンドとアルプススタンドは2階と3階がスタンド内の通路で繋がっており、現在では内野席であれば通路内に限り1塁側アルプススタンドから3塁側アルプススタンドまで自由に移動ができる(そのため、通路から座席に向かう際には、各ゲートに配置されている係員がその都度チケットを確認する方式となっている)。また、それぞれスタンド間にはグラウンドから球場外まで通じる通路があり、リリーフカーの出入りや観客の退場路などに使用されている。, 2007年からの改修後は選手などの関係者向け施設は内野スタンドとアルプススタンドの1階に集中している。以前はアルプススタンドの1階の他、内野スタンドの2階部分、外野スタンドの1、2階部分を関係者エリアとしていたが、スタンドの観客向けの施設を増やすために各所に移動している。, 「アルプススタンド」は元々は通称であったが、現在は正式名称として使われている。この通称は拡張直後の夏の中学野球の折、白いシャツを着た観客で超満員の球場内を見た当時の人気風刺漫画家・岡本一平が『朝日新聞』での連載記事に、「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」の一文を付けた風刺漫画を載せたのが由来である[15][注 10]。これには、「一緒に観戦していた息子の太郎(後の芸術家・岡本太郎)がふと呟いた」という説と「登山家の藤木九三(当時朝日新聞勤務)がスタンドをアルプスに形容したのを一平が伝え聞いた」という説がある。このアルプススタンドの部分が内野スタンドと分かれていて、座席が背もたれなしの長椅子形式となっているのはプロ野球球団の本拠地球場の中では唯一、甲子園球場のみである。また外野スタンドは拡張後に同じく朝日新聞紙上で「ヒマラヤスタンド」と名付けられたが、あまり普及しなかった。, 放送席や記者席はバックネット裏にある。リニューアル前は中段にあり記者席の後ろにも観客席があったが、リニューアル後は最上段に寄せられている。記者席・ラジオブース(上段)の入り口は別の所にあり仕切りもあるため隔離されているが、テレビ放送席(中段)は特に仕切りがない場所に仮設される。高校野球が行われる場合、NHK大阪放送局、MBSテレビ(選抜)、朝日放送テレビ(ABC、選手権)のそれぞれの放送席に大会公式ポスターが数枚(ABCの場合は大会スローガンが大書きされたものも)貼り付けられたパネルセットが仮設される。放送席、記者席ともに開放型のため空調はなく、激しい雨が降ると特にテレビ放送席では風向きによっては雨粒が入り込んで濡れることもある。, プロ野球公式戦開催日に限り、バックスクリーン手前にあるビアガーデン「ココナッツガーデン」内にホームランボールが直接着弾すれば、レシート持参で試合当日の営業開始時から着弾時までの飲食代全額が返金になるサービスが実施されている(打者は阪神タイガースに限らず、ビジターチームの選手も対象。但し、着弾以降の飲食代は対象外)[16]。ただ、ここまで飛ばすには150mの飛距離が必要なためこれまでのところ着弾はなく実施されたことはないが、このサービスは2020年現在でも継続して実施されている[17]。, 内野は、バックネット裏の「グリーンシート」(5,134席)を中心として、外野スタンドに向かって「アイビーシート」(1塁側)3,740席(※2015年まで)・「ブリーズシート」(3塁側)3,683席(※2015年まで)、アルプススタンドの「アルプス席」(1塁側6,276席、3塁側6,169席)と続いている。「グリーンシート」と「アイビーシート」・「ブリーズシート」は銀傘下にあり、中・上段であれば雨天時でもほぼ傘を差さずに観戦が可能である。「ブリーズシート」は2013年まで「アイビーシート(3塁側)」であったが、2014年より新たに独立した名称が与えられた。ちなみに「アイビーシート」のアイビーとは蔦を、「ブリーズシート」のブリーズとは浜風を、それぞれ意味している。, さらにフィールドシートとして、「グリーンシート」の下部に「TOSHIBAシート」(968席)、「アイビーシート」・「ブリーズシート」の下部に「SMBCシート」(1塁側1,125席、3塁側1,143席)を設けている。これらのフィールドシートの名称はネーミングライツによるものである。2008年からネーミングライツが設定されており、「SMBCシート」は当初「みずほ銀行シート」で2008年からの5か年契約(高校野球開催時を除く)であった[18]。「SMBCシート」となった2013年からの契約内容は非公表である。なお他の多くの球場とは異なり、フィールドシートには防球用の金網があり、さらに後列との往来は制限されていない。, また、2009年からは銀傘真下に法人向けの個室「ロイヤルスイート[注 11]」(33室 + 貴賓室1室、348席)、3塁側内野席上段に掘りごたつタイプのグループシート(ボックスシート)「三ツ矢サイダーボックス」(4人用6組と5人用11組の79席。利用者には三ツ矢サイダーやバヤリースなどアサヒ飲料商品が贈呈される)が設置されたが、使用はプロ野球開催時に限られている[注 12]。2012年からは1塁側内野席上段にも同様の三ツ矢サイダーボックスが4人用6組と5人用5組の49席が設置された。なお「三ツ矢サイダーボックス」のネーミングライツの契約内容は明らかにされていない。, 通常、甲子園球場では、スタンドの段数表記は1段、2段…と数字表記であるが、2012年シーズンから座席間違いを防ぐため、TOSHIBAシート・みずほ銀行シートのみA段、B段…というアルファベット表記に変更された。, 2013年から、セブン-イレブンジャパンと命名権を締結したシートとなる「セブン-イレブン ファミリーシート」(1塁側アルプス席の下段アイビーシート側の一部)と、「セブン-イレブン エキサイトシート」(1塁側アルプスの最前列の一部)(いずれも家族・グループ用の4組1セットのチケット席)が新設された[19]。チケットも提携しているチケットぴあのみで販売される(サークルKサンクスを除く)。, 2014年からは、「ブリーズシート」の一部に「セブン-イレブン ツイン・トリプルシート(ツイン20シート、トリプル10シートの計70席)」、1塁及び3塁のアルプスシート上段に「Ponta デッキシート(1ボックス最大16名で合計64席)」(命名スポンサーはローソン)、年間予約席のSMBCシートの一部がクッション性が高くなって両サイドを通路とした「SMBC リラックスシート(2人掛け7シート、4人掛け4シートの計42席)」、グリーンシート上段の「パノラマボックス(10ボックス、20席)」の4種のシートが追加された。この変更に伴い、座席数は47,757席から47,541席に変更となる[20]。, 2016年からは、アイビーシート・ブリーズシートの上段の一部を改装し、床を全面クッション仕様とした5 - 6名収容の「ボックスシート」と、2名掛けシートの「ブリーズペアシート」を新設したことで、定員が33名減少して47,508席となった[4]。ボックスシートに関しては、2017年度からは阪急阪神グループの一つである阪急阪神ポイントがネーミングライツを取得し、シート名が「Sポイントボックス」となる[21]。, 外野は、バックスクリーンを隔ててライトスタンド側「ライト外野席」(9,595席)とレフトスタンド側「レフト外野席」(9,448席)に二分されている。2006年からはレフトスタンドの一部に「ビジター応援席」が設置された。詳細は当該項目を参照。, プロ野球ウエスタン・リーグ公式戦の開催日においては、基本的にバックネット裏のグリーンシートとTOSHIBAシートのみ開放される(観客が多い場合は、更にアイビーシートなどが開放されることもある)。全席自由席で、2017年時点では入場料は大人1,000円(但しタイガースファンクラブ会員は500円)。, 高校野球においては、春の選抜大会では全席自由席だが、夏の選手権大会では2018年の記念大会より初めて前売り指定席が導入された。プロ野球公式戦におけるグリーンシートとTOSHIBAシートが「中央特別自由席」(春の選抜大会)または「中央特別指定席」(夏の選手権大会。2018年より導入、コンビニに設置の端末などで前売り発売)[注 13]となり、アイビーシート・ブリーズシートとSMBCシートが「1塁特別自由席」または「3塁特別自由席」になる。なお、「アルプス席」は名称はそのままであるが、出場校の関係者が優先となる。外野席は、選抜大会では従来より無料開放されているが、選手権大会では2018年の大会より有料化され、また満員の際は入場制限される。, 改築前の座席区分はフィールドシート部分が「ボックスシート」(グループシートではない)、アイビーシート部分が「イエローシート」、ブリーズシート部分が「オレンジシート」であり、グリーンシート部分は今より狭いものであった。また席の色は緑・黄・オレンジとそれぞれ名称別に塗りわけられていた。2001年シーズンまではアルプスを除いた内野席上段部全体を「内野A指定席」と設定し、緑色のシートが設置されていた。ただ、オレンジシートのメンテナンスはイエローシートほど行き届いておらず、色が褪せたり傷んでいる椅子もいくつか見受けられた。, なお、野球以外の催し物では、スタンド部分の座席区分はプロ野球と同じになる場合がある。, 銀傘は開設当初「鉄傘(てっさん)」と呼ばれ内野席全体(後のアルプス部分を除く)を覆っており、その素材から「大鉄傘(だいてっさん)」と呼ばれて、さらに1930年には女性客の人気を狙ってアルプススタンドまで拡張された。しかし、第二次世界大戦中の1943年に鉄材供出のために取り外され、その後1950年までの7年間は青天井の状態が続いた。その後1951年にジュラルミン製の銀傘として復活したが(この当時の銀傘は川崎重工業製)、一・三塁内野席の半ばからネット裏の客席にだけの開設当初より小さいものが設置され、1982年にはアルミニウム合金製に葺き替えられた(柱はそのまま)。, 2009年には4代目のガルバリウム鋼板製のものに架け替えられた。商品名は、淀川製鋼ヨドルーフ180ハゼ。大きさは開設当初と同じ大きさであり、アルプスを除く内野席全体を覆っている。銀傘の下には個別の観覧席であるロイヤルスイートがあり、その壁面下部にリボン状LEDボード「甲子園ライナービジョン」が設置されている。また2代目の銀傘からは中央に外野席向けのサブスコアボードがある。, 2010年には屋根上に太陽電池パネルを設置し、同年3月1日より稼動を開始した。パネルは本田技研工業の子会社・ホンダソルテック製で推定発電量は年間193,000 kW/h、またこれによって年間133トンの二酸化炭素排出を抑制できる[22]。, 銀傘を支えるための柱は客席内に立てられており、後ろの客席(約10段ほど)からは柱が邪魔になるため観戦しにくくなっている。なお、代を重ねるごとに下段側の柱は上方に移っている。, 銀傘の屋根下中央部に、高校野球での試合開始終了などを知らせるモーターサイレンを設置している。このモーターサイレンは、阪国電機製のAWN型。, 銀傘の中央部には、野球中継で使用するためにテレビ各局が共同でハイビジョン対応のリモコンカメラを設置している。このカメラは2台設置されているため、地上波の並列中継(高校野球ではNHKと民放、プロ野球では在阪局とサンテレビ)があってもそれぞれ1台ずつ使用できる。, 銀傘の上に上がったボールは、そのまま雨樋を通ってロイヤルスイートの屋根の上に落ちるようになっている。, 現在は中堅118m, 両翼95m, グラウンド面積約13,000m2と公称され、左右中間は118mということが公表されている。2007年オフからの改修以前は中堅120m, 両翼96m, グラウンド面積14,700m2(この数値は日本プロ野球球団の本拠地中で最大)と公称され、左右中間は119mあるといわれていたが、この数値には長年疑問が呈されており、たとえば野球場研究家の沢柳政義は、著書『最新野球場大事典』(大空社、1999年)で、中堅118.1m, 両翼94.7m, 左右中間117.9mとする数値を発表していた。甲子園球場は落成以来たびたび改修を行いフィールド等の形状が変更されてきたが、それに伴う不動産登記の合筆は行われておらず、法務局にすら正しい図面が存在していなかった。1991年にはラッキーゾーン撤去に伴い測量が行われているが、この時の記録は全く残されておらず、球場自身も正しい数値を把握していなかった。結局は改修に伴う実測により2008年にグラウンド面積の数値が、2009年に中堅、両翼の数値が現在のものに改められた[23]。すでにグラウンドは改修によってやや狭くなっていたが過去にさかのぼって13,500m2だったと訂正された。しかし、阪神タイガースオーナーの坂井信也は、それでもフェアグラウンド面積が日本プロ野球球団の本拠地中で最大と主張している[24]。, フェアグラウンド面積の大きさの根拠としては左右中間から両翼寄りの広さがあげられる。外野フェンスはソフトボールのフィールドのように本塁を中心とした半径118mの円弧を描く形状で、ファウルポールの近くで急角度に絞り込まれる。これは国内の他の球場には見られないもので、左右中間からポール手前にかけては改装前の甲子園球場の公称値通りに作られた広島県立びんご運動公園野球場(尾道・しまなみ球場)の一例を除き国内では最も深い。ファウルグラウンドはかつての公称値からしばしば広大であると言われていたが、実際のところは千葉マリンスタジアムや札幌ドームに及ばないものであり、さらに2007年オフからの改修で塁線及びベースから60ft(約18.3m)という規定に近いところまで削られている。, 2014年11月11日に行われた「日米野球シリーズ・日本プロ野球80周年記念試合 阪神・巨人連合軍対アメリカ大リーグ選抜」の親善試合では、マウンド・ホーム付近を赤土ブレンドに変更しダートサークルを設置、ウォーニングゾーンを褐色に着色するなどの措置が取られた。, グラウンドの広さはしばしば変更されている。1934年の夏にはファウルゾーンの広さの規則改正(1931年、90ftから現行の60ftへ)によりホームベースをバックネット裏方向へ移設し、両翼の数値こそ短くなったが全体はさらに広くなった。1936年には外野スタンドの改築とアルプススタンドのグラウンド側への増設に伴い現在に近いものとなった。1950年代などの写真ではセンターと左右中間の3ヶ所に「390 ft」(≒118.9m)の表示が確認できる。ラッキーゾーンは1947年に設置され1991年まで使用された。当初、高校野球時には取り外していたが、1949年の夏の大会からはそのまま使用していた。設置中には幾度か位置が変えられている。1976年には内野スタンドの改造に合わせてホームベースを移設、中堅120m、両翼91mと公称されるようになった。また、このときラッキーゾーンを従来より前にせり出す改修もおこなわれている[25]。1991年オフにはラッキーゾーンを撤去、一部は甲子園歴史館と甲子園球場に近い兵庫県立西宮今津高等学校の中庭に保存されている。, グラウンド整備は阪神電鉄子会社の阪神園芸の手によって行われている。内野は黒土、外野はフェンス際を除いて天然芝で、外野フェンス際とファウルグランウンドのうち内野スタンド(アルプスを含まず)沿いには人工芝が張られている。, 内野グラウンドは独特の黒土である。鹿児島、岡山、鳥取、大分など日本国内の黒土と中国福建省の白砂をブレンドしている。季節の雨量や太陽光量などを考慮し、春は白砂を多く(黒土5.5:白砂4.5)、夏は黒土を多く入れる(黒土6:白砂4)などしてブレンド具合を変えている。内野で激しい動きを見せるボールの行方が、スタンドの観客にも見えやすくするための配慮である。, 当初は淡路島の土が使われていた。土質には研究に研究を重ね、同じ頃に売り出した甲子園住宅地の売価が当時坪あたり40円であった[26] ところ、球場の土には坪あたり50円を費やしたという。, 外野グラウンドは、フェンス際を除いて、日本のプロ野球の本拠地としては稀少となった天然芝である。開場当初は外野も土のグラウンドであったが、1928年12月から1929年2月にかけて芝が張られた。, 天然芝については、1982年からオーバーシードといわれる芝の二毛作方式を採用している。夏芝「ティフトン」と冬芝「ペレニアル・ライグラス」を用いることによって、一年中緑の芝生でプレーできるようになった。夏芝から冬芝への切り替えが9月下旬から10月上旬、冬芝から夏芝への切り替えが4月下旬から5月上旬である。2009年オフには同じ品種のものに張り替えられた。撤去したものは大阪府と兵庫県の公立校に譲渡されている。, 外野が天然芝の球場ではフェンス際は芝の育成が難しいために、通常はウォーニングゾーンも兼ねて土となっているが、甲子園球場ではフェンス際まで芝が張られておりウォーニングゾーンは白線を引くことにより設けている。外野ファウルライン付近は2008年まで白線に沿って土のままであったが、阪神タイガース選手会からの要望により2009年より芝が植えられ、芝の上に直接白線が引かれている。, 外野フェンス際の僅かな部分は天然芝ではなく、赤土であった。ただ、これまでは雨天時にはこの赤土が流れ出してしまうこともあり整備に手間がかかっていたことから、2018年シーズンよりフィールド内では初めて人工芝とする。, 甲子園のピッチャーズマウンドは、黒土を使用することから一般的な球場のものと比べ柔らかいとされており[27]、多くの投手から「投げやすい」との評判が高い[28][29][30]。その一方で、硬いマウンドに馴染みが深い外国人投手がその独特な柔らかさへの順応に苦労することもある上[31]、日本人投手の中にも速球派投手・長身投手など硬いマウンドを好む選手も少なからず存在することから[27]、投手の好みに応じて柔らかさを調整しており、特に阪神の主催試合においてその試合の阪神の先発投手に合わせてマウンドを整備しているという[32][33]。, 近年では、あらかじめ踏み込み部分の土を硬い仕様にしていたり[34]、マウンド自体を従来より硬いとされる素材の土を使用して作り替えるなど[27][35]、マウンド硬化を推進する傾向にある。, 投手板後部には、放水用の蛇口がある。試合前に7 - 8人の整備員が一列に並んで内野全体に大型のホースで水を撒いており、高校野球のテレビ中継では試合前にこの姿がよく放映されている。この水は井戸水で、海から近いために若干の塩分を含んでおり飲用には適さない。かつて、近畿で真夏に異常渇水に見舞われた時、井戸水を使用していることを知らない人たちが「水の使いすぎ」と問題視したこともあった。, ベンチには、2列のプラスチック製長椅子、フェンス際の座席バーと計3列の座席が設置されている。前列ベンチ及びバーは露天となっているが、雨天時には巻き上げ式の屋根をせり出せる構造となっている。また、夏季の暑さ対策としてエアコンが装備されている。, 1塁側・3塁側ともにベンチはグラウンドより下に掘り下げられているため、野手がファウルボールを追いかけてベンチに突っ込んでしまうと頭から落ちてしまう危険性がある。実際に、2008年3月の改修直後のお披露目で、当時の岡田監督などから転落の危険性と天井の低さなど数ヶ所の不備を指摘されたことで、急遽再工事で改修され、現在の姿となった[36]。, 改修以前のベンチは3列であったが、2008年シーズンより2列に変更された。その後、ベンチ全体がグラウンドより低い位置にあるためサインが伝達しにくいとの改善の要望が現場から出たことから、2018年度開幕に合わせてMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島などでも採用されているメジャーリーグスタイルに改修。従来の2列ベンチに加え、前列ベンチとフェンスとの間に背もたれのない座席バーを設置した[37]。また、併せて、空調の増強も行われた[36]。, ベンチ裏は階段を下りると控室となっており、ここに大型の鏡が設置されているので控え選手は素振りでスイングのチェックなどができる。なお、これらは3塁側のみスタジアムツアーで見学が可能となっている。, 前述の通り、外野フェンスは独特の形状となっており、特にファウルポール際はクッションボールの処理が難しい。フェンスの構造はラバーと金網の組み合わせという一般的なものだが、ラバーは2004年から太陽工業製のメジャー風の厚いものとなっており、ラバーの最上部で打球が跳ねることも多い[38]。なおアルプススタンド部分のラバーは2009年より帝人ファイバー製[39] である。現在のラバーにする以前にもラバーの最上部で打球が跳ねることがあり、ラッキーゾーン撤去元年にはいわゆる「幻のホームラン」事件が起こり、ルールに新たな取り決めが加えられた。外野フェンスの高さは公表されていないが、沢柳政義は2.6m(ラバー部1.9m, 金網部0.7m)としているほか、3.0mとされることがある。, アルプススタンド1階内部は簡易室内練習場となっており、プロ野球では1999年からここにあるブルペンを使用している。投手交代時はリリーフ投手がここから移動して、アルプススタンドと外野スタンドの間にある通路からリリーフカーに乗ってマウンドに向かう(但し、リリーフカーの乗り入れは外野の天然芝と内野の土との境目手前まで)。室内練習場になる前は、1塁側は体育館、3塁側は25mの温水プールであった。「3塁側の室内練習場は床が高くなっている」、「3塁側室内練習場の外にはマンホールが多数設けられている」など、元がプールであったことを彷彿とさせる部分が今も確認できる。, 高校野球の試合時は、室内練習場は次の試合に出場するチームのウォーミングアップ場として使用するため、ファウルグラウンドに仮設ブルペンをバッテリー1組分設置する。2007年オフの改修以前はバッテリー2組分が常設されており、ラッキーゾーン撤去後暫く(1992年 - 1998年)はプロ野球でもこちらのブルペンを使用していた。2007年の改修以降はファウルグラウンドが狭くなったためにプロ野球開催時は撤去するようになったが、2013年からは再び常設となった[40]。しかしプロ野球開催時に使用されることなく2017年6月に再び撤去され、高校野球開催時のみに設置させることになった[41]。, 1991年以前はラッキーゾーンにブルペンがあったため、リリーフカーもここから出ていた。車両の採用は1960年代途中からであったが、自動車ではなくバイクであった。1970年代終盤から自動車やサイドカーとなったがラッキーゾーン撤去時に一旦廃止され、のち1999年にブルペンの変更に伴い復活した。リリーフカーは1999年の復活から2011年途中まではダイハツ工業製の電気自動車を使用。1塁側リリーフカーと3塁側リリーフカーの違いはカラーリングのみ。以前は3塁側リリーフカーの右側(すなわち、投手が座る助手席側)にカーテンが設けられていたが、2011年よりカーテンは外されている。この2011年のシーズンからメルセデス・ベンツの日本法人がスポンサーになり、カラーリングも変更[42] されたのに続き、9月13日からは3代目としてスマート・フォーツー(電気自動車仕様)を導入した。2016年より車両が4代目となる新型スマート・フォーツーに更新された。リリーフカーは内外野のスタンドの狭い隙間を通って出入りするため、スタンド内に戻る際はフェンス手前でターンしてバックで入庫している。, 室内練習場は当初1978年に3塁側アルプススタンド下(現在のブルペン)に設けられたが手狭であったため、2004年に新たに甲子園水上競技場跡にあったテニスコートの一部を転用して室内練習場が造られた。総工費は約9億円で広さは3,600m2。1塁側と陸橋でつながれている。基本的にタイガースの選手用であるが、他球団の選手が使用することもある(タイガース遠征中にソフトバンクが間借りしたこともある)。また、2009年度第1回の12球団合同トライアウト会場としても使用された(当初は球場本体で一般公開として予定されていたが、当日は雨天のため室内練習場にて非公開で実施)。, 銀傘の上の2基と、照明塔4基で構成されている。この構成は1956年の新設時のままであるが、形状とランプの位置は異なる。銀傘の上のものは新設時のものより細長くなっている。, 2008年の外野席改修工事実施までの照明塔はスタンドに直接設けられていた。1つの照明灯につき2本の柱が観客席内に建てられていたため、柱の直後の観客席からは大幅に視野が狭められていた。2009年からスタンド外の2本とスタンド最上段の2本の鉄柱で支える方式となり、外野の2本には大型看板が設置されるようになった。, 完成当時の球場外壁はコンクリートのままであり、1924年12月に安価で見た目を向上させる策として外壁を覆う蔦が植栽された。正面の7号門と8号門の周りには日当たりの悪いところでも生育しやすいウコギ科の蔦を、その他の部分は冬に葉を落とすブドウ科の蔦を採用し、阪神園芸の手で管理されていた。かつては約430株ほどが植えられ、葉の総面積はおよそ畳8,000畳分あると言われた。, この蔦はリニューアル工事に伴いいったん取り払われ、外壁をレンガで覆った後に再び植えられている。蔦を取り払った後でレンガ張りにするまでは代わりに蔦をイメージした緑のパネルで外壁が覆われていた。蔦は、2000年に高校野球20世紀メモリアル事業の一環として全国の高校野球連盟加盟校4,170校に配布され、現在も育てられている[43]。そのうち生育状態の良い苗が233校から集められ、2008年6月14日、「ツタの里帰り」として甲子園球場に植えられ始めた[44]。この233校の名前を刻んだ銘板がレフトスタンド照明塔支柱の根元にある。約10年がかりで蔦に覆われた外壁に戻る予定。ただし球場正面はガラス張りに変更されている。, 時計台型が特徴のメインスコアボードは現在の球場のシンボルマークになっており、立体商標にも登録されている(2011年出願・登録)[45]。現在の物は3代目[46]。, なお、2代目以降、大時計下にはSEIKO、3代目の途中2001年頃からCITIZENの広告が入る。2002年から2008年までは右側オーロラビジョン下部にトヨタ自動車、2010年の途中からLED掲示方式でプロ野球時のみ点灯する三井住友銀行の広告が入っている。2019年には照明内蔵の立体文字に変更された。照明が点灯するのはプロ野球時のみで、デーゲームでも点灯する。サブスコアボードの両サイドに2009年はきんでんと奥村組が、2010年は奥村組とビルボード大阪が広告を出している。, 試合中のファウルボールのアナウンスは、プロ野球開催時はスコアボード全面にアニメーションで注意喚起され(複数パターンあり)アナウンスは自動放送されるが、高校野球ではスコアボードの右下半分に注意画面でアナウンスはウグイス嬢が行っている。, 開設当時の甲子園球場のスコアボードは得点掲示のみをする仮設の板であった。これは1924年の夏の高校野球の開催に間に合わせるために球場を建設したため、常設のものが間に合わなかったためである。1925年に選手名も表示するスコアボードが正式に開設された。この当時から球場独特の明朝体の選手・チーム名表記がなされていた。位置は両方とも現在のセンター後方ではなくややライト寄りに位置していた。この頃にはまだバックスクリーンの概念がなく、センター後方も全て座席となっていた。, しかし、当時のスコアボードは最大で十六回[注 15] までしか書き記すことができなかった。1926年の夏の大会・静岡中学 - 前橋中学の試合は延長十九回まで続き、常設のスコアボードにやぐらで仮設のスコアボードを急ごしらえして凌いだ。その後1933年準決勝の明石中学 - 中京商業の試合は延長二十五回まで0-0の同点という試合となり、その仮設のやぐらに0のパネルが並び続けたため見づらいということから、1934年にスコアボードをセンター後方に造りなおすことになった。1936年には外野スタンドの改築と同時にバックスクリーンが設置されている。, 2代目のスコアボードは1934年から1983年までの延べ半世紀にわたって使用された。スコアボード左側に選手名表記、真ん中に時計とボールカウント(ただしストライクも赤色ランプ)、審判団、右にスコア(当初は上段に九回まで、延長十回以後は下段[注 16] に記した)を表記するものだった。外野スタンドは改築前でそのスタンドに合わせて建設したため、高さは現在の3代目スコアボードの半分程度(スコア表示部分と三菱電機の広告がある緑色の部分の境目あたり)であり位置もホーム寄りだったため、外野スタンドの改築後は見えにくくなっていた。, 当初は阪神電鉄の車両部のスタッフが遠隔操作でスコアやボールカウントを操作していたが、ナイター設備が1956年に完成すると、機械部分を雨からカバーする目的で使われていたガラスが反射して見づらいことから、ガラスを外して手動に改修。1958年にはスコア表示を十二回[注 17] までとし、下段はその日の試合結果(プロ野球の場合は他球場の経過)を表すものに変更された。2代目スコアボードの選手名、高校野球のチーム名は、全て球場係員の手による白ペンキを用いた手書きであった。選手名は全て明朝体に近い独特の書体で書かれており、明朝体よりもやや横幅が広いので字全体がひしゃげた感じであった。電光掲示が少なかった当時においても、明朝体で選手名を表示する球場は少なかった。ただし基本的には2文字分記入するのが精一杯のサイズだったために、3文字はまだしも4文字以上の選手名の表示や記入作業は難しく、チーム名も広島商業が「広商」となるなど、基本的には2文字分の大きさだった。書体ともども、職人芸といえる高度な技術が必要であった。さらに作業はスコアボードの裏側で行われたため、夏期は屋外以上の熱気がこもり、肉体的にも消耗度の高い大変な作業であった。プロ野球の選手(特に阪神タイガースの選手)のものは消えないように処理されたものが使われていたが、それ以外のものはすぐに消せるものが使われた。プロ選手のボードは金属製であったが、高校野球用はベニヤ板だった、との証言もある。高校野球においてプロ選手と同じ苗字の選手がいた場合は、プロ選手用のボードを使いまわすこともあった。高校野球の雨中の試合においては手書きの部分のペンキが雨で流され、時間の経過とともに読みとれなくなることが多かった。この状態はよく「(スコアボードが)涙を流す」とか「洟(はな)を垂れる」などと表現されていた。これらの特徴もまた甲子園球場の独特の雰囲気を演出していたため、2代目のスコアボードへ強い思い入れを持つオールドファンは多い。, 1979年にはバックスクリーン部分に2面広告装置「トライビジョン」が設置された。(1997年から2010年までは、4面広告装置ペンタビジョン)ホームランが出た際にはこのトライビジョンの周囲の電飾が発光するようになっている。トライビジョンは3面であるがうち1枚はバックスクリーンのためのものである。, その後、球場開設60年を機にスコアボードの近代化を実施することになり、1984年に2代目をモチーフにした電光掲示板を設置した。高さと位置は外野スタンドに合わせたもので、表示部分より下側はバックスクリーンとなっている。トライビジョンはそのまま残したためバックスクリーンが前後2つになる形となった。発光素子は白色電光を用いて日本初の白黒ボードとし、2代目の雰囲気を残した。イニング表示は漢数字のままで、イニング単位のスコア表示は十回までに省略されたが、新たに合計得点(計)・ヒット数(H)・エラー数(E)も表示できるようにした。延長戦で十一回以上となった場合は、一回 - 十回のスコアを全て消去した上で十一回の得点を一回のところに、それ以降の回はイニング数の下1桁と同じ漢数字のところに表示していた。スコア部分はチーム名や各イニング得点などの部分ごとに分割されていた。スコアの下には白黒の大型フリーボートがあり、プロ野球の試合中では打席に立った打者の打率(AV)とホームラン数(HR)が表示され、阪神が勝利した試合ではヒーローインタビュー後の「六甲おろし」合唱時に白黒アニメーションが表示されていた。バックネット裏のサブスコアボードも同時に電光表示化され、本体と同じスコア表示とボールカウンター、プレーの記録(ヒット、エラー、野選)の表示ができるものとなった。1992年からは球速表示もされるようになった。, 1993年から右半分は三菱電機のブラウン管方式オーロラビジョンを採用してスコア部分も含めた全面フリーボードとなり、カラー化された。「六甲おろし」合唱時のアニメーションがカラー化されたほか、動画が取り込めるようになったため、試合中のリプレイ放映や、攻守交替時にコマーシャルが放映されるようになった。電光化されたイニング表示もそれまでと同じもの(一 - 十計HE[注 18])が踏襲されており、更新されなかったサブスコアボードに合わせている。十一回からは十回までのスコアを消去した上で十一回からのスコアが入力され、十一回以降のイニングの漢数字は1文字分のところに2文字(十と一から五)が縦書きで表示される。スコアのイニング表示は大会の規定イニング(春の選抜大会と夏の全国大会の高校野球は十五回、プロ野球は十二回、プロ野球の日本選手権シリーズは十五回)までとなる。プロ野球時の打者の打率とホームラン数も以前とほぼ同じ位置に表示されている。また、広告も変更されている。さらに2009年からは、ライナービジョンにも打率とホームラン数が表示されている。, 1997年には左側の選手名部分を、ある程度の多色表示が可能で明るい新型の三原色によるカラーブラウン管に更新した。それまでは攻撃中チームを横長の赤いラインで表示し、打席に立つ打者は中央にある赤いランプを点灯させて表示していたが、それらは廃止して、現在でも踏襲されている、チームイニシャル(またはチーム名)の上下いずれかと打席に立つ打者の部分のみ細い赤いラインで表示するようになった。同時にチーム名表示部分も拡張された。2003年9月15日、阪神のサヨナラ勝ちでリーグ優勝へのマジックナンバーを1としたデーゲーム終了後、マジック対象チームであるヤクルトスワローズの試合(対横浜ベイスターズ)がオーロラビジョンで中継された際には、ビジターチームのチーム名が表示される部分に2チームのチーム名(SとYB)が上下2段で、選手名が表示される部分の一番打者から九番打者のところに横浜・ヤクルト戦の1回から9回までのスコアが、また10番目(DH制のときに投手名が表示される)のところに合計得点(計)が表示され、ホームチームの選手名が表示される部分の一番上の段には於・横浜スタジアムと表示された。このときイニングの数字と計の文字は緑色で表示された。また、球場には電車で来るように呼びかけている「ノーマイカー甲子園」の表示も左側、選手名の欄で表示されることがあるが、この時は赤色や黄色が表示された。, 2005年からオーロラビジョンがブラウン管からLEDに変更され、よりクリアな映像が楽しめるようになった。スコア部分の文字も、大きさはブラウン管の時と同じながら1文字あたりドット数が16×16から24×24に増え、オーロラビジョンは491,520個のLEDによって構成された。, 2009年からは銀傘の更新とともにサブスコアボードが更新され、スコア表示部がメインスコアボード同様のフリーボードに変更された。メイン・サブ共にレイアウトが自由になったのを機に、高校野球時はイニングスコアの十回の部分をなくして一回から九回までの表示とし、チーム名の部分をそれまでの3文字表記から4文字表記できるようにした。なお延長時には十回から新規に表示しなおしている(プロ野球時のイニングスコアは従来通り一回から十回まで)。, メインスコアボード、サブスコアボードは2010年オフに改修が行われた[47]。メインスコアボードは、左側の選手名部分を動画も表示できるLEDフリーボードにし、ほっともっとフィールド神戸に次いで日本2つめの2面式ビジョン[注 19] になる。中央下部のプレーの記録(ヒット、エラー、野選)表示と審判名表示が統合されLED化し、試合経過時間・守備交代経過時間もここに表示できるようになった。また、サブスコアボードと共にアウトカウント表示もSBOから国際基準のBSOに変更された。投球数も表示されるようになった。従来からあった右側のビジョンも更新が行われ、解像度・動画表示性能が向上している。通常は時計下にあるBSOランプを利用するが、メインスコアボードにBSOを出すことも可能。, 2018年シーズンオフから2019年春にかけて、スコアボードを1面の大型ビジョンとする改修計画が発表され[48][49]、2019年3月4日にマスコミ関係者向けに披露されたあと、9日のオープン戦から使用を開始した[50]。主な改修内容は以下の通り。, 2020年シーズンからは、まず選抜高校野球大会で登板中の投手の当日の投球数の表示がなされる予定であった[51]が、同大会は中止となった[52]。プロ野球では、従来以上にスコアボード感を出すため、スコア部分下のフリースペースにおける守備チームのポジション毎の選手名表示は真上からの俯瞰した平面ではなくホームベース側から見た立体的表示(内野は黒土を模した茶色、外野は芝生を模した緑色)とし、またチーム名・選手名の表記は明朝体を踏襲するが、チーム名・選手名枠やイニングのスコア表示枠を立体的に見えるよう枠を縁取らせて表示させている[53][54][55][56]。またこの改修により、プロ・アマを問わずイニング表示は9回まで(延長戦となった場合は1回の箇所から書き直し)となった。, スコアボード左側の選手名および高校野球時のチーム名は、電光化されたあとも手書き時代を踏襲して明朝体の字体で表示している。選手名部分は漢字で3文字分が表示できるようになっており、同一チーム内に同姓の選手がいる場合に表示する下の名前の1文字は一回り小さい文字が右下に寄せて表示される(姓が1文字の場合は、姓の漢字が標準より0.5文字分下に表記される)。ただし、俊介や大和のように下の名前のみで登録されている選手や、韓国または台湾出身で3文字(フルネーム)で表示される選手の場合は全て他の漢字と同じ大きさの文字になる。, 2018年以前は、スコアボードの性能上、一行では最大で6文字までしか表示できなかったため、特に外国人選手などで選手名が7文字を超える場合は後述のように文字を小さくした上で枠内に二行で表示するなどの方法をとっていた。また、韓国や台湾出身の選手では1文字(姓のみ)で表示する場合と3文字(フルネーム)で表示する場合があるが、これはそれぞれの所属チームでの表記に合わせている。, なお、メッセンジャー(阪神)は7文字だが「ッ」と「ャ」の表示を工夫して一行で表示した。また、2019年のスコアボード全面化後は表示の性能が向上したことで、7文字を超えても一行での表記が可能となり、マルティネス(中日)は『R・マルティネス』と実質8文字で一行で表示された。, 普段は使用する機会が少ないが、DH制に備えて選手名は10人分確保されており、9番打者の右横が投手枠となる。また、試合開始30分前の先発バッテリー発表時には9番目の枠に投手、10番目の枠に捕手の名前を表示したが2011年からは右側に両方(投手・捕手)表示するようになったため左側に捕手・投手名は書かなくなった。, 2017年5月5日から7日の対広島戦では、ゴールデンウィークの特別企画「ゴールデンウィークこどもまつり」の一環として、子供連れのファンにも選手を覚えてもらう目的で、日本人選手に限り表示を平仮名にする試みを行った(ただし、外国人選手については通常と同じく片仮名表記であった。また、審判員も日本人選手同様に平仮名表記とした)[57][58][59][60]。2018年以降のゴールデンウィークのうちこどもの日ないしその前後に当たる主催試合でも同様に、日本人の選手名・審判名を平仮名で表記した。, 審判員の名前は2018年まで球審と塁審の4人制のみの対応だったため、プロ野球のオールスター・日本シリーズ開催時の外審(線審)は名前が表示されなかった。プロ野球開催時で外審がいる場合、2018年までは試合開始前にスコアボード右側のカラースクリーン部分に並列する形で表示して紹介していたが、2019年(同年、オールスターを開催)からは文字の大きさを小さくして6名分表記するようになった(高校野球のナイター突入時は変更せず)。審判の名前の上には、2010年までは「UMPIRE」と表記されていたが、2011年以降は「UMPIRES」とLEDによる複数形の表記に変更されている(写真を参照)。球審の表記は、2010年まではプロ野球12球団の本拠地の中では当球場が唯一「Chief umpire(チーフ・アンパイア)」の略であるCHを用いていた(過去では中日球場や平和台野球場が球審をCHと表記)が、スコアボード改修後は他球場と同じく「Plate umpire(プレート・アンパイア)」の略であるPLに変更されLED化された。また塁審の表記は、一塁→IB・二塁→IIB・三塁→IIIBのように、ローマ数字とBの組み合わせとなっており、これも改修の際にLED化された。, ヒット、エラー等の判定は審判の名前の上にある横3文字分の枠の中に、ヒットの場合はH、エラーの場合はEとエラーをしたポジションの数字(白色)が表示される。1ヒット1エラーの場合はHE7のように表示される。また1つのプレーで2人がエラーをした場合にはE53(この場合はサードとファースト)と表示される。フィルダースチョイスの場合はFcと表示される。2011年の改修以降は担当審判と時計カウンターを表示する部分と一体化されている[注 21]。, スコアボードのチーム名(得点側)は電光化されてから漢字3文字(詰めても3.5文字)までしか表示できなかったため、高校野球時には智弁和歌山→和智弁、駒大苫小牧→駒大苫などのように工夫して表示してきた。この表示方法は、NHKやABCテレビの高校野球中継でも用いられることが多かった。また、1991年夏の大会では同名の高校を区別するため、詰めれば3.5文字入ることを利用して、智弁和歌山→和・智弁、智弁学園(奈良)→奈・智弁、大阪桐蔭→大・桐蔭、桐蔭学園(神奈川)→神・桐蔭と中点(0.5文字分)付きで表記された。このうち智弁和歌山のみ1997年まで中点付きの表記が継続された。ただし、秋田経法大付(現・明桜)→経法大付(2002年選抜)、日高中津分校→日高中津(1997年選抜)と4文字で表示された例がある(いずれもLED化前)。また校名表記は原則として新字体を用いる(「智辯」→「智弁」、「○○大附」→「○○大付」等)が、2014年選抜の白鷗大足利は新字体の「鴎」ではなく正式な表記の「鷗」(「鴎」の「メ」の部分が「品」)が用いられた。, 2009年の選抜大会からはバックネット上のスコアボード改修を機に高校野球時に限り、イニングスコアの十回部分をなくし一回から九回までを1イニング分ずらして表示することでチーム名が漢字4文字まで表示できるようになった。2014年選手権では日大鶴ヶ丘が5文字で表記されている。ただし早稲田佐賀→早 佐 賀(2017年選手権)、国学院久我山→国久我山(2019年選手権)のような省略を余儀なくされる場合や、早稲田実→早 実(2009年選抜。2010年選手権では早稲田実)、新潟明訓→明 訓(2010年選手権。2012年選手権では新潟明訓)、鹿児島実→鹿 実(2011年選抜。2015年選手権では鹿児島実)、智弁和歌山→和 智 弁(兄弟校の智弁学園と区別をつけやすいようにという事情がある)などの伝統校の中には表記を変えないように要請したり、県岐阜商のように得点側の表記変更と同時に選手名側の表記も変更(県 立(改行)岐阜商→県岐阜(改行)商)した学校もあった。, なお右半分のフリーボード化以前は、下部の試合結果表示部分で表示が2試合分までの場合はチーム名が6文字まで表示されていた。この際のチーム名は他の部分で使われている明朝体ではなくゴシック体で表記されており、1990年選手権大会での済々黌はゴシック体の「黌」が表示できず、やむなくひらがなを使用し済々こうと表記された。表示が3試合分の場合は通常通り明朝体での3文字表記となっている。, 選手名側のチーム名は、通常4文字以上の場合は上下2段に表記し上下段ともに最高3文字ずつ(最高6文字)であるが、表示部分が拡張された1997年以降は市和歌山商(現・市和歌山)→市 立(改行)和歌山商(2005年選抜ほか)→市和歌山(2014年選手権ほか)、県和歌山商(現呼称・和歌山商)→県 立(改行)和歌山商(2007年選抜)や九州国際大付→九 州(改行)国際大付(2009年選手権ほか)、日本航空石川→日本航空(改行)石 川(同)、自由ケ丘(2010年選抜ほか)、二松学舍大付→二 松(改行)学舎大付(2014年選手権ほか)、東海大熊本星翔→東海大(改行)熊本星翔(2018年選手権)など、3文字以内ずつに分けにくい場合は1段が4文字で表示されることもある。枠内には余裕があるため、2005年選抜大会では4文字の部分は枠をフルに使用し通常と同じ大きさで表示されたが、2006年以降は中央の3文字分×2段の部分に通常より小さい文字で表示されている。1996年以前はこのような場合でも4文字で表示されることはなく、秋田経法大付は1990年の選抜大会などで秋 田(改行)経法大と表示されていた。また東京都市大塩尻→都市大(改行)塩 尻(2011年選手権)、おかやま山陽→おかやま(改行)山 陽(2017年選手権。2018年選抜)、中京学院大中京(現・中京)→中京院(改行)中 京(2019年選手権)のように4文字以内ずつに分けにくい場合はチーム名の一部が省略される。, 2019年の改修後、テスト表示では得点側・選手名側ともチーム名に5文字まで表示可能なことが確認されているが[61]、実際の試合ではいずれも4文字までの表示となり従来の表記が踏襲された。, プロ野球の試合では2019年まではどちら側のチーム名も漢字ではなく東京ドームのスコアボードと同じようにアルファベットの略称(阪神タイガース→T、読売ジャイアンツ→G、横浜DeNAベイスターズ→DBなど)で表示されていた。, 高校野球ではボーク、守備妨害など観客からは分かりにくいプレーや判定に対し、場内に説明がされないので「表示してほしい」と要望があったことから、このようなケースの際には2001年よりスコア表示の下に判定を表示するようになっている[62]。一方、プロ野球では申告敬遠の際のみスコア表示の下に『申告敬遠』と表示される。, また、現在のバッターが誰かを表示するランプは2代目スコアボードのときから上段のビジターの選手名と下段のホームの選手名の中間に9個の赤いランプがつけられていた。3代目スコアボードにも9個の赤いランプ(選手名の表示は10人分あるが、DH制の場合ピッチャーは打席に入らないため)が踏襲されていた。1997年からは、ランプとそれまで選手名とポジションの間で攻撃中のチームを表示していた赤いライン(一番から九番まで、DH制の場合はピッチャーのところまでが1本につながっていた)を廃止し、選手名ごとに区切った短い赤いラインで表示するようになった。2019年からプロ野球での試合に限り、出塁している選手は緑色のライン、攻守交代後の先頭打者は白いラインで表示されるようになった(高校野球では従来通り、打者に対しての赤いラインのみ)。, 他の球場の多くが代打のポジションを「H」「PH」、代走のポジションを「R」「PR」としているのに対し、甲子園球場では代打は「打」、代走は「走」と漢字表記しているのも特徴である。ただし、オープン戦などDH制で行う場合の指名打者は「DH」、投手は「P」[注 22] と表記されている[63]。, 高校野球のアナウンスで工業、商業、学園、学院、実業が付く学校名は原則として対戦校と校歌斉唱のみ「○○工業高校」「○○商業高校」「○○学園高校」「○○学院高校」「○○実業高校」と言う。それ以外は「○○工業」「○○商業」「○○学園」「○○学院」「○○実業」と言う。またスターティングメンバー発表時や初打席の時には背番号を言わない代わりにポジションと選手名(「君」付け)を再度言う、審判紹介時の締めの言葉が「以上でございます。」ではなく「以上、4氏でございます。」といった、プロ野球との言い回しの違いもある[注 23]。, 2019年3月からメインスコアボードが1面の大型ビジョンに変更されたのに伴い、選手名、スコアの表示位置がプロ野球と高校野球で異なる。, 2008年オフの銀傘改修の際に設置された三菱電機製リボン状LEDボード(オーロラリボン)である。サイズは縦1.2m×横249.6m。アメリカでは広く採用されているもので、日本初として2006年に採用が発表されたが、設置はクリネックススタジアム宮城(2007年に日本初設置)・千葉マリンスタジアム(2008年設置)に先行されている。プロ野球の試合ではタイガースの応援や選手紹介の映像動画、CM、打席に立った選手のシーズン通算成績と当日の打撃記録、デジタル数字表示によるボールカウント[注 24]、他球場速報(オーロラビジョンの映像と連携した映像が流されることもある)などを、高校野球でもその日の試合結果を表示する。, また、NTTドコモ提供で「ドコモオーエン甲子園」をファンからメッセージを募り、試合前、イニングのインターバルを利用して応援メッセージが流されている。当初、プロ野球公式戦の阪神主催試合のみだったが、2012年の夏の高校野球でも応援メッセージが流された。, 2011年の楽天イーグルス主催試合では「がんばろう東北」(ワインレッド地白文字)と楽天イーグルスロゴ、または同チーム協賛スポンサーの企業の広告を表示。, タイガース主催試合では、3回裏に「3」にちなんで三菱電機の広告が表示される。初期は水色(かつての三菱電機のコーポレートカラー)のバックに「三菱電機 オーロラビジョン」「三菱電機 オーロラリボン」「MITSUBISHI」が表示されていたが、2014年シーズンより「(スリーダイヤ)MITSUBISHI ELECTRIC」が表示される。, ラッキーゾーンが設置されたごく初期のころ(1950年代初め)、ラッキーゾーンに直接広告看板を貼り付けていたことがあったが、1950年代後半ごろからフェンスに貼り付ける形になった。, 甲子園球場ではフェンス、スタンド、ベンチに広告看板を掲出しているが、高校野球の全国大会期間中は日本高校野球連盟との取り決めで、ベンチ・バックネットのものについては広告をラバー製のシートで隠している。高校野球の兵庫県大会、あるいは1998年に開かれた「AAAアジア野球選手権大会」(アジアの高校生年代の野球大会)の時は広告フェンスを隠さず、通常と同様の状態で試合を行っている。, 外野フェンスに関しては、選抜高等学校野球大会時のみ、歴代優勝校の校章と校名、優勝回が書かれた白い校板を掲示していた。この校板は1932年の第7回大会から掲示されていたが、1984年の第56回大会2日目第1試合に行われた佐賀商対高島の試合において、外野でワンバウンドしてラッキーゾーンに入る、本来ならばエンタイトルツーベースとすべき当たりを審判が間違えてホームランと判定してしまう事件が起きたことから、その翌日から伝統の校板は撤去された。これは校板が白くて大きいためにボールが見えにくかったためである。, フェンス部分は1983年夏の大会まで内外野全て脱着式[注 25] だったが、1984年に内野部分にラバーが貼られるようになってからは内野部分の広告はそのまま露出し、外野部分とバックネット付近の広告を隠す(ラッキーゾーンの付近にある広告は取り外し式)ようになった。左中間・右中間にある大会名表示は春の大会は1985年・第57回以後、白パネルから緑地白文字のシートで広告を隠す方式に変更。夏の大会は元々から緑地白文字で、1985年の第67回大会までは1文字ずつ(大会の回数については2桁の数字を1枚にまとめた)切り離したパネル式のものだったが、1986年の第68回大会以後は春の大会同様シートをかける形になった。, 1992年にラッキーゾーンが外され外野にラバーが貼られた際には大会名の入ったグリーンのシートで広告を隠すようになった。, 1995年選抜大会には阪神・淡路大震災の復興を祈念する文言が右中間側に、復旧作業のお礼を示す文言が左中間側に、また2008年の第80回記念選抜大会には大会歌「今ありて」の歌詞の一部「今ありて未来も扉を開く」が右中間側にそれぞれ掲示された。, 2010年からは外野フェンスの広告をそのまま出すことになり、大会名はバックネット付近のフェンスに掲示することになった。これは、外野フェンスの広告を提供する14の企業・団体[注 26] が外野席下に新設された「甲子園歴史館」の協賛社となったため、この協賛社から歴史館の運営費用を捻出するためと、歴史館に高校野球に関する資料を大量に展示したためである。このため、高校野球大会を主催・後援する高野連、朝日・毎日の両新聞社と協議したうえで、高校野球期間中もフェンス広告を隠さないことになった[65][66]。, 本塁後方のフェンス広告(2か所)は1980年代前半から2004年まではカネボウが、2005年から2016年までは江崎グリコおよびグリコ乳業が、2017年から2019年まではサンスターおよびアットホームが、2020年からはコナミが広告を出している。2005年から幕巻き取り式による電動で複数の広告パターンを交代で出せるようになり、2013年オープン戦からはそれまでの緑地白文字のモノクロ広告からカラー広告が中心となった。試合前の打撃練習中の際「阪神甲子園球場」の幕が出ている時がある。オールスターゲームや日本シリーズの時のみ協賛企業(オールスター開催時は三洋電機 → ガリバーインターナショナル → マツダ → マイナビ。日本シリーズ開催時はコナミ → 三井住友銀行)の広告となる。なお、高校野球の時は2005年までは広告部分は緑のシートで覆って隠され、電動表示幕変更後は広告のない緑一色の表示を出していたが2010年選抜大会から大会名表示を行なうようになった。大会名はバックネット左側(1塁側寄り)、主催団体表示は同右側(3塁側寄り)のそれぞれ回転広告看板に表示される(特にテレビ中継では左側=1塁側の大会名表示の箇所が頻繁に映されている)。なお、バックネット裏(電動表示幕横)とベンチ側の広告は従来通りシートで隠してある。, セ・パ交流戦開催期間中のみ、本塁後方のフェンス広告の横に「日本生命 セ・パ交流戦」の広告文字が追加される。2008年は交流戦終了後も本塁向かって左側のフェンス広告横のみ「セ・パ交流戦」だけを削除した「日本生命」が掲出され、2009年も開幕時からそのまま継続して掲出された。日本生命の広告は2014年公式戦まで続き、同年の日本シリーズは「SMBC日本シリーズ2014」、2015年シーズンからは「JTEKT」に変更されている。, また、外野入場口のうち、グラウンド最前列にあるコカ・コーラウェスト提供の看板は、普段コカ・コーラやジョージアのものであるが、夏の高校野球期間中はアクエリアスに差し替えてある。, 2011年は東日本大震災被災地への復興支援として、高校野球(春・夏とも)では「がんばろう!!日本」(大会特別スローガン。!

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